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鍾馗様

阿賀町の鍾馗(しょうき)様祭りは、阿賀町で毎年早春に行われている伝統行事です。五穀豊穣、家内安全、無病息災、子孫繁栄、厄除け、厄払いなどを願って、男性器を誇張した特徴のある大きな鍾馗様のわら人形を作り祀ります。

ショウキ祭りとして県指定の無形文化財になっています。

鍾馗様祭りと併せて百万遍の行事が行われる地区もあります。

百万遍の行事



■鍾馗様の祭り

 

阿賀町の4地区(熊渡・大牧・夏渡戸・武須沢入)で毎年2月から3月にかけて鍾馗様祭りが行われます。

※平瀬地区は2019年から行事は開催されていません。

※2021年、2022年は限定的に開催されました。

2024年の鍾馗様祭り

2023年の鍾馗様祭り

2022年の鍾馗様祭り

2020年の鍾馗様祭り

2019年の鍾馗様祭り



1. 熊渡(くまわたり)新潟県東蒲原郡阿賀町熊渡

東下条駅の近くにある正鬼神社に鍾馗様は祀られます。正鬼神社自体は701年から記録があり、神社に祀られるものはこの地区のみです。鍾馗様は神社の裏にある大木にしめ縄で括りつけられ、手を広げ通せんぼをして集落を守っています。人形の大きく、高さ、手を広げた左右とも3メートルもあります。右手に短剣、左手に栗の木で作った槍を持ち、朴の木の刀を2本差しています。


2. 大牧(おおまき)  新潟県東蒲原郡阿賀町大牧

若松街道沿いに鳥居がありますが、少し手前の道から磐越西線をくぐり階段を登って行くとお堂が立ってます。鍾馗様はお堂の中で広げて座った状態でこの集落を守っています。鍾馗様祭りでは、集会所で完成した2.8メートルにもなる人形を蓑帽子、男性器、本体の三つのパーツに分け、皆で担いでお堂まで登り納めます。最後にお堂の前の大木に縄で縛った刀をかける「刀かけ」の行事が行われます。


3. 武須沢入(ぶすざわいり新潟県東蒲原郡阿賀町小出

阿賀町役場の南約10キロメートルほどの場所、阿賀野川支流の小出川の左岸の集落の出入り口にお堂があります。鍾馗様の高さは2メートルほどでそのお堂の中に両手を広げて立っています。鍾馗様を祀る日には無病息災と五穀豊穣を願って大きな数珠を皆で回す百万遍という儀式が行われ、その後お堂に祀られます。


4. 夏渡戸(なつわど) 新潟県東蒲原郡阿賀町日出谷夏渡戸

鹿瀬駅と日出谷駅の間の阿賀野川沿いにあります。この地区では男女一対の人形を作り、集落の上下にあるお堂にそれぞれ祀ります。また男女の人形は年ごとに入れ替わります。男の人形は1.5メートル、女の人形は若干小さい1.4メートルほどで手は万歳をして上げた形です。女の人形を作るのはこの地区だけで、子宝を願うものです。


5. 平瀬(びょうぜ) 新潟県東蒲原郡阿賀町日出谷

日出谷駅近くの阿賀野川沿いの地区で、昔は伊豆神社の境内のお堂に祀られていましたが現在は集会所近くのお堂に祀られています。今まで2.5メートルになるわら人形の鍾馗様が作られてきましたが、残念ながら2019年から、新潟大学の学生が製作した木製の鍾馗様を未来永劫のご神体としてお祭りし、祭り行事はおこなっていません。



■鍾馗様について知る

阿賀町の鍾馗(しょうき)様祭りは、阿賀町で毎年早春に行われている伝統行事です。五穀豊穣、家内安全、無病息災、子孫繁栄、厄除け、厄払いなどを願って、大きく特徴のある鍾馗様のわら人形を作り祀ります。以下の説明は、各種民俗学・歴史資料、民俗学の駒形覐先生の見解などを元にまとめたものです。

 

■祭りの歴史

稲作によるわら人形で子孫繁栄と厄払いをする行事は全国に多く残っています。東日本では江戸時代に村を守る道祖神をわら人形を作って祀る民間信仰が広まりました。一方、鍾馗様は平安時代に中国から伝来した魔除けの神様ですが、鍾馗様像が民衆に一般的に広まったのは江戸時代末期です。

阿賀町の鍾馗様人形は、そのころに古くからあった道祖神信仰が鍾馗様信仰と合体し進化したものと思われます。鍾馗様の厄除け、厄払いに相応しい厳つい風貌と信仰は、集落を守る道祖神信仰と非常に親和性がありました。阿賀町は地政学的には会津藩の西はずれにありますが、会津の影響を受けたと言うよりも、むしろ会津から阿賀野川沿いに流れてくる疫病や悪人など悪いものを防ぐ強い願いがあったのかもしれません。

阿賀野川周辺では、昔はもっと多くの地区で鍾馗様祭りを行っていたようですが、現在この鍾馗様祭りは阿賀町の4地区でのみ行われています。鍾馗様への願いは皆同じく共通するものですが、人形は地区ごとに大きさ、形状、表情に個性があり、祭りの日どりや儀式も比較的自由に決められてきたようです。阿賀町の鍾馗様祭りが宗教儀式ではなく、村々で自然発生した民間信仰に基づく祭りである所以です。

 

■鍾馗様人形

毎年1月から2月になると地区の人々は総出で大きな鍾馗様のわら人形を作ります。稲わらを使って作るわら人形は五穀豊穣を願うためのご神体そのものです。わら人形は人と同じ大きさから大きいものでは3メートル近くになるものまでありますが、目を引くのはいずれも男性器が大変誇張されていることです。人形の装飾には高度で細部まで手の込んだわら細工技術が使われています。鍾馗様の顔は紙に筆を使って描かれます。また角や槍、短刀などさまざまな付帯品にもこだわりがあります。これらの技術と意匠が今日まで脈々と地区の人々に受け継がれ、この伝統的な祭りの基盤となっています。

鍾馗様のわら人形の中には自分の厄を紙に書いてわらに結んで埋め込みます。厄を封じ込めた人形が完成すると、人々は人形を担ぎ集落の外れに祀ります。昔は大きな木に括りつけていましたが、近年は汚れを避けるためにお堂が作られその中に祀られます。中には男女一対のわら人形を作って集落の上下に祀る地区もあります。鍾馗様人形を集落の外れに祀るのは、災難や厄を集落から追い出してもらうのと、また災難や厄が集落に入るのを防ぐ両方の役割があるからです。手を広げた阿賀町の鍾馗様人形は、後者の方に重点がありそうです。

 

■なぜ男性器が誇張されているのか

阿賀町の鍾馗様人形は、いずれも男性器が誇張されてます。現代の感覚では「奇祭」と呼ばれるものですが、昔から五穀豊穣と子孫繁栄こそが人間の根源的な願いであり、祭りを構成する神事として性器崇拝は重要なものでした。実際、道祖神と性器崇拝が結びついた例は日本全国、全世界で見受けられます。

時代を経て多くの日本の祭りから性器崇拝の形は薄れていきますが、阿賀町の場合は、鍾馗様人形の形になった時代に、(鍾馗様自体には性器崇拝の概念は無いのですが)村どうしで人形(ご神体)の大きさや風貌をお互いに競い合い誇示したのでしょう。そのときに男性器もより誇張されるようになったのかもしれません。

阿賀町の鍾馗様人形祭りは、道祖神信仰から脈々と続き、現在でも残っている大変貴重な「奇祭」の一つなのです。

■鍾馗様を残したい

鍾馗様のお祭りは今、後継者の問題、材料のわら不足など存続の危機にあります。関係者により、伝統を受け継ぎ存続させるための努力、活動が行われています。ぜひ皆さまのご支援をお願いいたします。

 

1. 祭りの後継者

各地区では人口減少と高齢化により、鍾馗様の人形作りと祭りの催行が困難になってきています。人形作りにはわら細工と装飾品の準備に大変人手と時間がかかります。各地区ではボランティアや都会に出た若者、役場、支援者などを集めてしのいでいますが、伝統技術・伝統行事の伝承という側面からは、全体を知る経験者が必要であり、後継者がいなくなってきているのです。

 

2. 材料のわら

祭りのご神体である鍾馗様を作るためのわらの入手が困難になってきています。最近の稲刈りではコンバインが使われることがほとんどですが、通常脱穀した後の稲わらはカッターで短く裁断されてしまい、田にばらまかれてしまうため、人形作りには使えない状態になってしまいます。人形で使うわらを確保するためには、稲刈りを手作業で行い、はざ掛けを行う必要があります。人手と時間のかかかるこの作業をお願いできる田が非常に少なくなってきているという状況があります。

 

3. 認知活動

今後阿賀町の鍾馗様人形(性器を露出した人形)の存続を広く訴えていくにあたり、社会的な制約も乗り越えなければなりません。現代においては、性器の露出に対して、猥褻、卑猥、恥ずかしいもの、という認識もあり、関連する法律もそのような社会通念の上に存在しています。さらに昨今のハラスメントに対する被害主張という世の中の流れもあり配慮が必要になってきています。